採卵を終えて①
9月30日から生理がきた。
生理2日目、10月1日に受診、残った卵胞が無いかチェック。
エコーで
先生「これが、今回の卵になる卵だよ」と説明。小さな丸が何個か見えていました。
生理の時の内診、なんかとんでもない心境でした。
ショート法に決定。
その日からゴナピュールの注射と点鼻薬のブセレキュア14日間開始。
私の通っている病院は自己注射は自身が看護師資格保持者、または身近に看護師がいて打ってもらえる、職場近くの婦人科で打ってもらう、以外は認められていない。
私はパートの医療従事者だが、職場の看護師に頼むのは抵抗がある。
通院負担が気になったが、今月我慢したら移植までこぎつけるかもしれない、と思い通った。
10月5日に注射開始後始めての診察。
順調。
10月9日(9日目)に再度診察を受け、予想より早く、心の準備ができていなかったが、10月11日採卵に決定。
その日はゴナピュールはなし。
10月10日の1時30分に打つhcgの注射は自己注射。
在宅指導管理料が加算された領収書をみて、注射は毎日通って正解だったかな、と感じた。
初の自己注射は恐怖心もなく淡々とこなした。
夫は一緒に起きるとは言ったが、注射とかが苦手でほぼ寝ている。
採卵前日の10日はパートの日。
培養士さん 「安静がいいけど、そうもいかないよね?仕事行くしょ?
排卵を促す注射も打っているから、卵胞破れる人もいるから、転ばないようにね!あと運動も禁止、ヨガも!」
とアドバイスを頂き、いつも通り仕事をこなした。
長くなったので採卵を終えて②へ続く、、、
北海道胆振東部地震
AIHを2017年12月からできる月はしてもらい、2018年8月までに4回終えて全滅で、もうIVF考えましょうという周期を迎え、ちょうど生理が来て3日目で受診し、採卵周期に入ろうという日でした。
9月6日夜の3時ころ、ミシミシっという音とともに激しい揺れが。
携帯はブイっブイっと鳴り始めた。
これはまずいと思いベットから夫と二人で立ち上がろうとするが四つ這いで精一杯。
マンションが折れてもう死ぬんだ、、、と思い、覚悟。バシっ!と真っ暗に。揺れが緩やかに。
窓から外を見ると明かりのある建物、非常灯がついているビルが混在。
火災報知器の音も色んなところから聞こえた。
家の中のものは落ちて散乱している。
テレビもつかないし、情報は携帯から集めるしかないが、充電を減らすとまずい。
幸い夜中で100%
トイレに行くと、断水にも気づいた。
怖くて避難所の外で日の出を迎え、
夫は会社に緊急召集され不在に。
それから一人サバイバル生活開始。
電気ない、水でない、IH使えない、トイレ使えない。
水や食べ物を買うためにスーパーで1時間半並ぶ、開いてるガソリンスタンド求めて1時間並ぶ、充電できるとこ求めて自転車で徘徊、現金が必要でおろせる場所探す。
私は病院にいかなくてはならない日。
生理開始から3日以内ではないと採卵周期に入れない。
でも、生活を成り立たせなくては。
病院もやっているかわからない、調べる術もない。
病院を諦めるという決断は早かった。
私は札幌で一番揺れが激しかった場所に住んいる。はじめは震度4とのことだったが、震度6弱と訂正された。
当時夜はさすがに怖くて夫婦で街中の自家発電のビルの開放スペースへ避難。
翌日も電気来ず、夫を会社に迎えに行き、カレーパンを夜ご飯にし、銭湯へ並んだ。
事故が多発していて、信号の無い国道を走るのはとても恐怖だった。
地震前に夫がとんでもない裏切りをして、私は離婚まで考えていて、不妊治療の継続を実は悩んでいたが、継続しようと決めた矢先の地震だった。
地震の時はさすがに夫婦で協力しないと生活できず、自然と距離が縮まっていった。
続く。
まさかの。
実は転院先で2017年10月再度卵管造影検査をすると
卵管や子宮には問題無く、手術自体必要では無かったことがわかりました。
きちんと検査してもらわないと
恐ろしいことになっていました∑(゚Д゚)
必要の無い手術に色んなことを費やすことになっていたはず。
そこで、浮上したのが、
旦那が原因の不妊なのではないかということ。
検査することになったのが2017年12月。
以前のクリニックではフーナー検査は問題無し。もちろんその情報があったので、転院先でも疑いもしなかったのです。
検査結果は、基準に満たないとのことで泌尿器科受診へ。
漢方処方され1ヶ月様子を見ることに。
2018年1月再検査。
数値は改善したものの少なめであるが、疾患などなく手術も必要ないとのこと。
ストレスやプレッシャーからでは?との指摘。
こうゆう原因て、本当にどう解決してあげたらいいものかわからない。
仕事がストレスだとはよく話しているが、極端に言えば辞める以外にストレス無くす方法はない。
私が働いてもお給料は低いし、そもそも通院できなくなって不妊治療もできなくなるし、それはもう非現実的。
旦那は診断にショックを受け、しばらくはタイミングも取れなくなったため、
私は専業主婦を辞め、2018年2月から元々のリハビリ職へ戻りました!
パートだけど、久々に働けた時は嬉しかった。
続く。
その後の治療
やはりクリニックでは限界を感じ
総合病院へ転院。
2017年9月、転院先ではクリニックからの添書や画像などをみて、すぐに腹腔鏡での卵管形成術の準備が始まった。
今まで指摘されていなかった子宮内膜症の疑いもみつかった。
2017年11月オペ予約。
2週間入院して1ヶ月は自宅療養が必要とのこと。腹部には3箇所内視鏡を入れる穴の跡が残るとのことだった。
夫は元々オペにはあまり賛成していない。
しなくても体外受精という方法があるなら、身体に傷をつけなくてもいいのではないか、との考え。
卵管造影をこの大きな専門医のいる病院でもう一度してもらって、それでもダメなら旦那も納得するかと考えてもう一度検査を受けることに。
これまでのこと
2017年、年明けから排卵検査薬を使ったり基礎体温からタイミングをとるようにしていたけど、半年間授からず。
2017年7月。
クリニック受診。
タイミング療法を1周期受け、駄目。
卵管造影、ホルモン検査などを受ける。
診断は両側卵管閉鎖。
完全に自然妊娠できないから体外受精だね〜
卵管癒着してるかもね〜
と半笑いのドクターに言われる。
このままここのクリニックに通われても、うちではこれ以上診れないからさ。また卵管造影する?するなら同意書持って行ってね。
とさらさら説明されるけど、診断がショックすぎて全てが受け止められない。
家に帰り、悲しくて悲しくて1人で泣いた。
夫が帰ってきて、診断を伝えて謝るしかなく、また泣いた。
これが本格的な不妊治療の幕開けだった。